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正しいことは正しいと思いたい
私は少年漫画の主人公並に安っぽい正義感で行動することが多く、他人と衝突する機会が有りすぎて困っています。
少しの不正も許せないほど器量が狭いわけではありませんが、自己の保身しか考えないような大人とはソリが合わないんですよね。勿論協調性も生きる上で重要な技術と分かってはいますけど・・・なかなかねえ。
それでもたまーにですが、何故に自分がこんな事で悩むのかと分からなくなってしまいます。
どんな人間でも、小学生の時分に「他人を思いやりなさい」「正しい行いを心がけなさい」と道徳(若しくは修身)の時間に習ったはずですし、親からも善悪の判断基準を教えられていることでしょう。憧れたドラマか小説かマンガの主人公だって、他人に優しく社会的に正しい人間のはずです。少なくとも、「自分さえ良ければそれで良い」との教育を施された人間はそういないと思います。
なら、自分が正しいと心底思ったことは、そうそう他人と衝突しないはずなんですよ。何が正しくて、何が間違っているかは一応共通項目なんですから。
これは善悪に極端な私が間違いなのでしょうか。
大人になってしまえば、社会はそんなものだと割り切れるのかもしれません。今は単に私の人生経験が足りないだけかもしれません。
もしそうだとすれば、社会の方が間違っているでは・・・。
少しの不正も許せないほど器量が狭いわけではありませんが、自己の保身しか考えないような大人とはソリが合わないんですよね。勿論協調性も生きる上で重要な技術と分かってはいますけど・・・なかなかねえ。
それでもたまーにですが、何故に自分がこんな事で悩むのかと分からなくなってしまいます。
どんな人間でも、小学生の時分に「他人を思いやりなさい」「正しい行いを心がけなさい」と道徳(若しくは修身)の時間に習ったはずですし、親からも善悪の判断基準を教えられていることでしょう。憧れたドラマか小説かマンガの主人公だって、他人に優しく社会的に正しい人間のはずです。少なくとも、「自分さえ良ければそれで良い」との教育を施された人間はそういないと思います。
なら、自分が正しいと心底思ったことは、そうそう他人と衝突しないはずなんですよ。何が正しくて、何が間違っているかは一応共通項目なんですから。
これは善悪に極端な私が間違いなのでしょうか。
大人になってしまえば、社会はそんなものだと割り切れるのかもしれません。今は単に私の人生経験が足りないだけかもしれません。
もしそうだとすれば、社会の方が間違っているでは・・・。
コメント
三つほど、意見
君子豹変とはいきませんが
二重に気を遣っていただき恐縮です。いや、ホントに。
コメントを読んで、自分がいかに子供か痛感しました。
とは言っても、すぐにすぐ自分を変えられるほど器用ではありません。清濁併せ呑める人間に成長するには、当分時間が掛かることでしょう。もしかしたら、死ぬまで今のままと言う可能性も有ります。
頑張ってはみますけどね。応援してくださる方もいらっしゃることですし。
コメントを読んで、自分がいかに子供か痛感しました。
とは言っても、すぐにすぐ自分を変えられるほど器用ではありません。清濁併せ呑める人間に成長するには、当分時間が掛かることでしょう。もしかしたら、死ぬまで今のままと言う可能性も有ります。
頑張ってはみますけどね。応援してくださる方もいらっしゃることですし。
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まず一つ目ですが、「事の善悪というのは、どうも相対的なものに過ぎず、時代背景や土地柄、権力者などの状況で大きく異なり得るらしい」ということです。例えば、中世ヨーロッパでは牛乳より安かったため、子どもにすら飲まされていたと言われる酒が、今から90年程前のアメリカでは完全に禁じられていました。また、いずれも日本では禁じられているのですが、イタリアではネズミ講が、オランダでは売春宿が(少々の規制はあるようですが)許されていると聞いたことがあります。
まあ、これほど距離も時代も違っていると問題は起こりにくいのですが、日本国内に於ても思想の違いから対立が起きることはあり得ます。患者を安楽死させることが殺人に当たるかどうかとか、フェミニズムとか靖国問題とか、考え方が各人で変わってくるのは当り前なのに、何が正しいのか国としての結論を出さねばならない為、対立軸を産んでしまうようなことは非常に多いのです。
貴殿に関係したことについて言えば、多分、貴殿は昨日のブログに書いたことを意識して今日の分を書いたのでしょう。しかし、学校側としては、専ら優秀な学生に構いたい一方で、たとえ数合わせのためであっても一旦入れてしまった無気力な学生を無下には扱えないということで困っていると思われます。こういったことは、学級崩壊などが起きた指導困難校が共通に抱えるジレンマで、つまりどちらが正しいと判断するための決定的な根拠がないことなのです。
二つ目に、「本質的なところで、わざとかどうかはともかく、遵法精神に欠ける人間がいる」ということです。なぜ車の暴走運転や飲酒運転が無くならないのかを考えれば、そういう結論に至り得ると思います(必ずしもそうだ、とまでは言えないのですが)。
ただ、例えばごく普通の運転手でも、道路の制限速度を20キロ近くオーバーしたり、運転中にかかってきた携帯電話に片手でハンドルを動かしながら出たりすることは、多分良くあることでしょう。あいにく運転免許の無い私には初めっから無いことなのですが、それでも自分が運転手だったらと考えると、決してないとは言えません。ひょっとしたら、人間というのは、誰しも大なり小なり、法とか決め事をちょっとはごまかしてしまおうとするものなのではないか、私は何となくそうも思うようになってきました。ただ私としては、それで事が重大になり得ない限りは、少し位お目こぼしした方が社会が円滑に動くのでいいだろう、とも思います。あくまで少しですが。
最後に、「自分が正しいと思い込んだ人間は、往々にしてタチが悪い」という事があります。これがもっとも重大で、歴史的に言えば十字軍の東征も、ナチスのユダヤ人排斥も、今のアメリカ中心のグローバリゼーションも、他の価値観をほとんど認めずに、純粋に自分達の意見が絶対であると信じて進められてきたのですが、確実にそこには軋轢とか反感とかが生まれてしまうものなのです。しかし、事を進める当事者達は、自分達の中で完全に理論武装しきったつもりになり、それに異を唱えるものに対しては、どれほど有効な反論であっても、的確な再反論などは行わずに、異端視して切り捨ててしまうだけです。そういう思想集団は、あるものは反社会的集団とかカルトとして扱われ監視・捜査等がなされるのですが、あるものは時の権力者と意見が合うために優遇され権力の道具になることもあります。勿論、いずれも厄介なものであることに間違いはありません。
あるいは、個人が独善(独りよがり)に陥ってしまう、ということもあるでしょう。具体的な例は挙げませんが、こうした独善が誰からもたしなめられないまま膨張した結果の凶悪な事件は、今日の日本でも度々メディアを賑やかしています。まさか貴殿がそこまでいくとは思わないのですが、この意味で、自分の正しさの基準を絶対視したがっているように見受けられる(私の思い違いなら済みません)貴殿にも若干の間違いがあるかもしれません。
また、ワールドカップのときの様な長いコメントを、特に貴殿から不愉快に思われ得る記述もあるので、失礼しました。でも、善悪というものがそれほど単純ではないということは、書店や図書館にある倫理学の本の分厚さを見るまでもなく、よく知っておいて欲しいのです。