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人は死して名など残す必要はない。誰かに覚えていてもらえれば、それで。
激辛のイチオシレビューを書くことこそ、ckckの存在意義における七割以上を占めていると言ってしまっても過言ではないだろう。ただし、内容の良し悪しは別として。
─天の声
祖母が死にました。
八年前にガンと診断され、余命半年と家族に告げられてから五年生き、いつ死んでもおかしくないと言われた危篤状態で十日以上持ちこたえた末の昇天でした。
けだし、大往生と言うべきでしょう。私は動揺もしなければ、憐憫と呼ぶほどの念も抱いていません。
とは言ったものの、家族を一人失ったのもまた事実。全く悲しくないと言えば嘘になります。
が、泣きじゃくる母や伯母と比較すれば、私の反応はやはり冷めたものだったのでしょう。
私はどうにも他人に興味を持てないのか、冷たくなった祖母を目の前にしても涙の一滴もながさず、その死をごく当たり前のこととして受け止めていましたし。
これは私の持論ですが、人が本当の意味で死ぬと言うことは、その人の言動や教育ないし作品などで影響を受けた人がただの一人も居なくなってしまうことだと考えています。『存在』という言葉の(広義の)定義も、『それが他の何かに影響を与えること』とされていますし。
人の大半が己の遺伝子を後世に残すことにさしたる疑問を抱かないのは、自己の存在を永遠のものに近づけたいという思いが根底にあるからでしょう。己の血筋を継続させることが出来れば、世間に対し己の影響が継続されると言うことであり、結果的に自己の存在を永遠に近づけることになります。
上記の持論からどんなことを論じたいのかと申しますと、私には祖母から教わった知識と知恵があり、祖母との思い出があるが故、私の祖母という存在は完全には死んでしまっていないと考える訳です。今後の人生において、それらは少なからず影響を及ぼしてくるに違いありませんからね。
私がブログを書く理由も、恐らくはそのあたりにあるのではないでしょうか。
当方、遺伝子を残す気もなければ、教育者となるつもりもない21歳童貞ニートです。
しかし、もしもこのブログを読むことで僅かであっても活力を得られたり、まがりなりな人生訓のようなものを見つけられる方がいらっしゃるのであれば。私は確かに、今、ここで、生きているはずなのです。
