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中学生並みの屁理屈
どうして凶悪事件が発生すると、アニメやゲームや漫画の影響だと言い出すメディアが出るんだろう。
「13日の金曜日のジェイソンの影響だ」などと放送する局の一つや二つはあっても良いのでは。
─天の声
手斧事件の影響で、ヒロインがノコで首切り殺人を犯すアニメの最終回が、急遽放送を見送られました。
「女子高生が首を」という描写はまずかったのでしょうね。タイムリーすぎて。
ただ、人が死ぬということに限れば、もっと過激なドラマなり映画なりは山ほどあると思うんですが。典型的な時代劇なんて、毎回何人殺してるんだか分かったものではありません。
はたして、「残酷である」という認識の境界線は、どのあたりにあるんでしょうか。
日常的な事柄で考えてみれば、私が新しく買ったロッドを持って、近くの池でバス釣りでもしていたとしましょう。平日の真昼間でも無い限り、これは単純に趣味の一つとして認められるはずです。(特殊な動物愛護団体は別として)
では次に空き地へと赴いて、野良猫を的にエアガンの試し撃ちをやってみたらどうなることでしょうね。実際にやったことが無いので単なる推測ですが、ご近所様から苦情が来るか、通りすがりの警察官に注意を受けるといった結末が待っているものと思われます。
「他の生物を自分の快楽のために苦しめている」という観点からすれば、やっていることに大差は無いはずなんですが…。
魚は動物じゃないからかな?それとも魚類には痛点が無いからかな?
一応断っておきますが、上記の内容はあくまで例であって、釣りが残酷なスポーツであるとか、動物愛護法に問題があるとか、私はベジタリアンだとか、そういった意味合いではありません。
重要なのは、「どこから残酷な行為(表現)なのか」ということです。
冒頭に書いたゴールデンタイムに放送される時代劇だって、「切っても血が出ない」から残酷描写と認定されないだけです。もしも全ての相手が断末魔を上げながら倒れ、その度に主人公が返り血に染まるようであれば、製作段階からストップがかかることでしょう。
極論、殺陣における敵役は、動物ですらないのかもしれません。
むしろ個人的には、過激であっても流血表現のある方が「痛みを感じられる作品」として、犯罪抑止に効果がある気がするのですが。
ダラダラと書いたことを要約してしまえば、私達が普段感じている「人間として平均的な善性」というものは、存外に薄っぺらなものなんじゃないかなと思ってしまうのですよ。
残酷か否かの境界線が、「血が出るか出ないか」「相手が動物かそうでないか」くらいに見えてしまったので。
