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究極の楽しみ方
環境支援寄付金付きの年賀はがきを発行するよりも、年賀はがきの制度自体を見直した方が地球にやさしいと思う。
電子メールでいいじゃん。
─天の声
お隣の国では、「ネトゲで自分のキャラクターが殺されたことの腹いせに、現実世界で復讐する」という迷惑極まりない犯罪が起こっているそうです。
相手の家を焼いたり、集団で暴行を加えたり、最悪の場合殺してしまったり。
ゲーム(特にネトゲ)最大の存在意義は、「現実世界で溜まった鬱憤を気兼ねなく晴らすことができる」ってことのはずなのに…。逆にゲームでストレス溜めて、リアルで発散しては元も子もありません。
いや、それ以前に犯罪おこしたらダメなんですが。
ただ少しだけ、そこまでゲームにのめり込めるような人たちが、羨ましいとも思ってしまうんですよね。
冒頭で述べたような犯罪に走るには、現実世界に存在する相手の命より、仮想空間で殺された自分の分身の方が大切だという価値観が必要です。そうでなければ、電子データを失った怒りから人の命は奪えません。
言い換えれば、その人たちはゲームから現実と同じ、もしくは現実を凌駕するほどのリアリティを感じながらプレイしていたということになります。
恐らくそれは、どこまで行っても「たかがゲーム」と考えてしまう私のような人間とは、次元の違う楽しみ方でしょう。
キャラクターの感じる喜びも、痛みも、悲しみも、怒りも。全て自分のものとして捕らえることが出来たなら、そこに広がる世界は自己投影や感情移入といった領域を超えた、一般的な語句では表せない感動と興奮があるに違いありません。それこそ、麻薬のような。
あー。だからネトゲ中毒とか廃人という言葉があるのかも。
勿論、「現実と空想の区別がつかなくなる」状態になってしまっては危険なだけなので、そんな領域まで到達したいとは流石の私も思ってはいません。
重要なのは、その一歩手前で踏みとどまることでしょう。(間違いなく、それが一番難しい)
